大谷 毅
宮城大学事業構想学部長・事業計画学科教授
1.はじめに
余念なく勉強するのは良きことであるとして、その成果が、一流会社に入って、並プラスαの生活を送ること――この手馴れた図式が、円滑には成立しそうにない世相にあります。さりとて、はたちすぎの善男善女に、自ら赴くままに生きてはどうかというようなことを、安易には言いがたい自分を発見し、実は、戸惑いを隠しながら学生に接しております。
長銀や拓銀の崩壊過程をかいまみると、理解できなことがたくさんあります。1990年前後に、せっせと札幌や東京の土地投資に資金を供給したであろう、たくぎん抵当証券(株)の負債総額は、5000億円を超えます。洞爺湖の山のうえに戦艦のようなホテルを開業した(株)エイペックスの負債総額は、もうすこしで1000億円に届くものであります。
ひとくちに億の4桁といいますが、たしか1984年に開業した東京ディズニーランドなる事業は、持ち株比率京成電鉄51%・三井不動産49%のオリエンタルランド(株)の経営によるものであります。この事業をめぐって、三井不動産の江戸相談役は賛成派、坪井社長は反対派であったと報道されました。売上10%というWDP(ディズニー本社)に支払うロイヤルティをめぐって、反対派は高すぎるとクレームをつけました。結果として、賛成派が勝ったのですが、反対派が追い出されたというような話は聞きませんでした。
この事業資金のほとんどは銀行が、融資したのであって、その額は1500億円程度と記憶しております。たしか日本興業銀行が主幹事になって、三井銀行が保証し、22行のシンジケートローンであったはずです。
このはなしに登場するのは、すべてサラリーマンであります。東京財界はこうしたサラリーマンにして位を極めたひとたちのあつまりです。その東京財界が精一杯考えて生み出したハイリスク事業への対処であったといえるでしょう。
これには記録しておくべき多少の裏話もありました。こと土地はもともと千葉県が埋め立てし、遊園地を設置する目的で、オリエンタルランド社に払い下げられた土地で、75万坪あるはずです。遊園地とそしてしようされたのは25万坪であって、残りは万一のために、つましは、TDL事業が破綻したときに、残しておくという用心深さがありました。
これにくらべて、拓銀や長銀はじめ、1990年前後の頃の、開発に携わったサラリーマン、とりわけて金融機関のトップの判断はお粗末といえるかと存じます。
2.感覚と計算
計算に裏打ちされた感覚こそが感性だと考えてみました。多少言葉の遊びですが、事業を想起し、具体化していくには、感覚と計算がいると思っております。学校を卒業して社会人になり、ことにサラリーマンになると、とりわけ大きな組織の一員になると、定型的な業務に関係するために、他人が作ったルールに準拠する行動のみに関心が置かれます。そのためか、多少の計算力はつきますが、感覚力が後退するようです。しかも多少身につく計算力も、自ら提携業務が得意であるということを立証するために発揮するところがあります。
たとえば、洞爺湖をみおろす山の上に、仮に、600億円で400室のホテルを造るとなれば、1室1.5億円。1/1000理論を想起すれば、1泊の室料15万円で客室稼動を50%に持っていくことが可能かどうか、考えなくてはなりません。東京・銀座のホテル西洋の上を行くと思いますが、こういう水準の宿泊施設がないではありません。ちなみに、加賀温泉のある旅館は、1泊2食6万円でした。12畳で5人詰め込めば30万円。料理原価が20%で、旅行エージェント手数料が15%であったとしても、室料部分で15万円は確保できる計算です。東京銀座でもない、加賀温泉郷でもない、洞爺湖の山奥で、こんなことは可能でしょうか―と考えたとき、ある種の用心深さが芽生えてしかるべきなのです。
否、パラダイム変換して、これを投資商品ないし会員制商品としてみましょう。1室1.5億円で仕入れた商品を3億円で販売したとしましょう。買ったオーナーはいつでもつかえます。使わないときは、一般客をとめて、その利益を還元しましょう。党や湖畔はこれから人気が出ますから、このホテルも値上がりします。インカムのほかにキャピタルゲイン(値上がり益)も狙えます。それが証拠に拓銀も、この分譲商品購入者にはご融資します。拓銀にしてみれば、口座間の振替だけで、金利が入ってくるのですから、とても儲かるのです。などといって、稟議を通したのだと思います。会員制事業や投資商品が悪いのではありません。その世界でも立派に成功している事業がいくつもありますが、エイペックスは1000億円近い負債を抱えて倒産しました。このストーリーのどこに落とし穴があったのか。きっと、金融機関の融資担当者(貸し出しを営業する業務推進やそれぞれのプロジェクトを審査する者を含む)、それぞれの感性の問題であると思います。そして、こうした問題は、技術的な思考なしに、解をえがたい問題であると思っております。
3.業績点数支援機能
浅学の筆者が、いまの事業構想学部を偶然、手掛けたのは、95年夏、野田一夫氏との再会にはじまります。この宮城大学は看護学部のほかに、観光学部を作るつもりで、設置者である宮城県が93年くらいから計画したもので、当時の本間知事が心酔した野田氏に下駄を預けた格好になっていたようです。スケジュールでは97年開学でしたので、すでに校舎の建設にかかっていたのであります。97年4月に開学するには、95年秋には事前協議にかからなければなりません。およそ2ヶ月で業種別授業科目により教育課程を編成しました。仙台にはおよすぉ10の大学があります。ことにそのひとつは大型店であります。これらの大学と同じ内容の学部学科の設置は、ことに公立である場合、不可能でありますので、なにがしか変わったもので、とくに設置が必要な分野を取り上げなければなりません。96年春には固まっていなければならない教員組織は、半分は実務家を充てるつもりで、公募主体に人材を集めた次第です。8月に審査があります。この審査には、審査に合格した場合、現職を離れ教職につくことを誓約した印鑑証明付き文書と、現職の所属長の差し支えない旨の証明が必要になりますので、事実上、退職宣言しなければ、審査を受けられない仕組みになっていました。したがって、下手をすると失業をうながす結果になりかねませんので、この教員組織審査には神経を使いました。この部会を設ける契機はここにあります。
ひとつは業績(分野によっては学位)、もうひとつは教職歴であります。おもな学問分野には主流の学会があって、学会誌があって、その学会誌に何本書いたから教授の資格がある(大学院の場合はマルゴウ教授という)というお墨付きを、教員組織審査で頂戴します。分野によっては、自分で書かなくても、弟子が書いたものに名前を並べるだけで1本と勘定することもありますから、量産体制にある者はいくらでも本数を稼げます。
実務からきたヒトは、教職歴も業績もありません。実力がないのではなくて、機会がなかったのであります。まさにそういう機会がなかったから実務家なのであります。学位についても同様です。このところ「学位運転免許論」のおかげでだいぶ自由化してきましたから、この被害は少なくなったようです。
さて、確かに文部省傘下にある大学設置審議分科会が教員組織を行うのですが、実際は、文部省というよりは、既存の学会の学会誌に何本書いたかをすぐにいいたがる学者先生であります。筆者が見聞したのは、ビジネスアプリケーションと店舗デザインのある分野ですが、体育会の先輩が新入生に活を入れている姿を想起します。
4.趣旨と方針
この部会では、ビジネスや経営に関することはなんでも扱いますが、他の学会や研究会とは異なって、以下のようなことをも含めて、議論を試みようと愚考いたしております。
とくに運営方針は決めておりません。ときおり、たとえば隔月に一度、東京の都心のいきつけの店の一室を一夕占有し、最初はコーヒーでものみ他人の話に耳を傾け、ついで、会費を料飲料にかえて、悪酔いしない程度に議論しようというものであります。とくに机に向かって口角泡を飛ばすようなテーマがでてきたのであれば、それは、終日、しかるべく作成したディスカッションペ―パーにより、しかるべき場所で議論しましょうという程度のイメージしかありません。
いまのところ、参加してあげても好いと言って下さる方々は、情報技術・建築・観光・経営・福祉などの分野の研究者・実務家、外銀ファンド・フード・ファッションなどのビジネス関係者などであります。本文の雰囲気になじめそうな方は、分野や経歴のいかんを問わず、どうぞご参加くださいませ。
e-mail:fwhx1173@mb.infoweb.ne.jpまたはFAX03-3549-7403小生はけしてPCやFAXが好きではありませんので、ご返事が遅れることもありますが、ご海容ください。